食べない権利

「遺伝子組み換え原料は使われていません」
と表示されている食品にも、実は、
遺伝子組み換え原料が使われていることがある。
この問いの答えは、
○か×か。
答えは、○である。


私がこの事実を知ったのは、
昨年の5月に、
環境保護団体グリーンピース・ジャパンの方に
お会いした時のことである。


日本における遺伝子組み換えに関する表示は、
遺伝子組み換え原料の使用が5%未満ならば、
不使用と表示してもよいことになっている。


29日付けのフジサンケイ ビジネスアイに
調査会社インフォプラントの
遺伝子組み換えに関する調査結果が
報じられていた。


これによると、
昨年12月に20歳以上の女性1000人を対象に、
遺伝子組み換え原料を5%未満含んでいても、
不使用と表示できるということを
知っているか知らないかを
調査したところ、実に、
95%にのぼる人が
知らなかったという事実が判明した。


一方、EUではすべての食品や飼料、
さらに添加物までを対象に
遺伝子組み換えの表示基準を
0.9%と厳しくしている。


このため、日本で
「遺伝子組み換えではない」
と表示された商品が、
EU諸国に輸出されるときは、
「遺伝子組み換え原料使用」
の表示をした上で、販売されるそうだ。


これは、問題だ。
原料の5%未満の含有であれば、
遺伝子組み換え原料は健康に問題ないとの
判断のようであるが、
いったい、健康に影響がないと
誰が保証してくれるのか。


どのような食べ物を食べるかは、
消費者の自由な選択である。
遺伝子組み換え原料に対して、
まった不安を感じていない人は、
それを食べればよいし、
不安を感じている人は、
食べなければよい。


しかし、
私たちが食べ物を選択する拠り所となる
食品表示に、
事実とは異なる表記を行うということは、
消費者の選択する権利を奪うものである。


そもそも、
遺伝子組み換え原料は安全な食材だというのなら
なぜ、表示をごまかす必要があるのか。
いろいろ、かんぐってしまいたくもなる。
これは、まさに
「危険が証明されなければ安全である」
という国や企業の論理だ。


遺伝子組み換え技術について、
いいとも悪いとも言うつもりはない。
ただ、私や私の家族が、
不自然な食べ物は口にすることは、
できるだけ避けたいと考えている。
食べたくないものは食べないという権利は、
お金を出して食べ物を買う消費者にとって
絶対に守られなければいけない権利だ。
そのためには、
食品の表示をもっと分かりやすく、
事実を表記してもらわないと困る。
食品添加物についても同様。
http://d.hatena.ne.jp/tanakkum/20060630


遺伝子組み換え問題については、
グリーンピースのHPが参考になる。
「遺伝子組み換え問題サイト」
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/gm/

野菜工場

この間、「がっちりマンデー」で、
キューピーを特集していた。
今や、マヨネーズの会社は、
マヨネーズだけを作っているわけではないそうだ。


おもしろかったのは、タマゴの研究。
「とろっと名人 ひらけオムレツ」
という商品はすごい。
かちかちに凍った冷凍のオムレツを
お湯で温めること10分。
用意したチキンライスの上に乗せて、
オムレツを開いてみると、
中からとろとろっと半熟の中身が・・・。


私は、このタイプのオムライスに
ある種のあこがれを持っている。
伊丹十三監督の「たんぽぽ」という映画で、
グルメのホームレスが、
レストランの厨房に忍び込み、
あざやかな手付きでオムライスを作るのだが、
そのオムライスには、まさに、
このとろとろっという
オムレツがのっているのだ。
あの印象は強烈だった。
それ以来ずっと
とろとろタイプのオムライスに
あこがれているのである。


このとろとろのオムレツを、
冷凍食品で再現するなんて、
キューピーやるなあと感心。


しかし、感心できない話題もあった。
野菜工場の話である。
マヨネーズやドレッシングの販売が伸びるには、
野菜の販売が伸びることが条件。
ということで、
野菜を作ろうという発想はいいのだが、
なぜ、野菜工場なのだろう。


この野菜工場は、
『TSファーム』と名付けられている。
TSは、トライアングルスプレーの略である。
この工場では、土を一切使用せず、
また空間の有効利用のために、
三角のパネルに野菜を植えて、
そのパネルを立てて栽培している。
さらに、
この三角パネルに植えられた野菜の
むきだしの根っこに
液肥を霧吹きのように噴霧する。
だから、
トライアングルスプレーなのだそうだ。


太陽光は一切遮断。
高圧ナトリウムランプを使い、
人工的に昼と夜を作り出す。
収穫期間は短く、
路地ものの野菜の1/3の周期で
栽培が可能なのだそうだ。


この野菜は、虫もつかず、
農薬も使っていないため洗わなくても食べられる。


問題点は、価格の高さだ。
リーフレタスの場合、
小売り価格は季節によって、
ハウスや露地ものの3割増しから2倍程度に
なることもある。
また、食感にも問題がある。
柔らかすぎたり、
独特の苦味に欠けるものがあるなど、
やはり、野菜本来が持っている『何か』を
失っているようだ。


それでも、
この工場野菜は重宝されている。
天候にまったく左右されない
安定した品質と価格で
レストランや惣菜店
ハンバーガーチェーンなどから
引く手あまたなのだとか。


出荷先は外食産業向けや業務用が主だが、
一部、
高級スーパーでも売られているらしい。
利用されている方には申し訳ないが、
私は、個人的には、
高いお金を払って、
この得体の知れない物体を食べる気はない。


私は生きた食べ物は、
生きた土地でしか作れないと思っている。
微生物が作り出した豊かな土壌で、
たっぷりの太陽を浴びて育った野菜は、
野菜独特の良い香りがする。
これは、野菜が生きている証拠。
たっぷりのエネルギーを宿した
生きている食べ物である証拠なのだ。
独特の香りを持っていない工場野菜は、
外見は野菜であるけれど、
すでに「生命力」を失った
何か違ったものになってしまっているのだと思う。


太陽光を浴びていない野菜は、
ビタミンA・C・Eなどのビタミン類や
フラボノイド、イソフラボンカテキンなどの
抗酸化物質の含有量が少ないという。
太陽の紫外線は、
地上の動植物に強いフリーラジカルを受けさせ、
酸化を促進させるので、
野菜は自らの身を守るために
抗酸化物質を大量に作り出す仕組みを
持っているのだそうだ。
太陽に当たらなければ、
抗酸化物質の含有量が減るのは当たり前。


シェーンハイマーの
動的平衡」に当てはめて考えてみれば、
野菜工場のロジックは、
不自然である。
牛を効率的に飼育するため、
牛が本来食べることのない
高たんぱく食(肉骨粉)を与えることや
遺伝子組み換えの大豆を生産するロジックと
大差はない。

青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授の
福岡伸一氏は、
「動的な平衡系には部分のロジックは通用しない」
と述べている。
その部分だけ見れば、
ロジックは完結しているように見えるが、
すべてのものは循環しているのだから、
その不自然な“部分のロジック”の歪が、
何か別の形で、リベンジを開始するようになる。


さらに、
「循環を堰き止めたり、
食物連鎖のような循環の順序を
組替えたりする行為は、
バランスをとって存在している
動的な平衡に干渉すること、
別の言い方をすれば、
平衡を無理やり別の方向へ変えることである。」
とも言っている。


野菜工場のように効率を求め、
自然の野菜の収穫周期を人口的に早める行為には、
必ず余分なエネルギーの投入があり、
そこに平衡の不均衡が生じる。
この影響は、すぐには目に見えない。
BSEがよい例である。


そんなことを考えると、
野菜工場で作られた野菜は、
できることなら口にしたくないと
考えてしまうのである。

動的均衡

世の中には、
ありとあらゆる健康に関する情報が
飛び交っている。
どれが有益で、どれが有益でないかなど、
判断のつけようもない。
実験結果の名の下に、
様々な数字やデータを並べられると、
科学者が言っているのだからそうなのかと
思わされてしまっても仕方がないなあと思ってしまう。


自分にとっての最高の健康法は、
自分の体に聞いてみるしかない。
ある人にとっては良い健康法が、
ある人にとっては効果がないというのは、
よくある話だ。
自分にとって有効だと思うなら、続ければよい。
ただし、それを人に押し付けるのはどうかと思う。


自分が行っている健康法を
唯一絶対視している人が結構いる。
しかし、その健康法が有効かどうか、
誰が正しく判断できるのだろう。
過去を調べてみれば、
当時は常識と思われていたことが、
時の経過、科学の発達と共に、
誤りであったなどということは
山ほどあるわけで・・・。
今、常識と思われていることも、
10年先、20年先、100年先には、
『とんでも理論』であった
ということになる可能性は十分にあるのだ。


やはり、
物事を多方面から観察する習慣をつけることは大切だ。
1つの機能、1つの側面にのみ注意を向け、
「よい」
と判断してしまうと、
違う機能、側面が見えたときに、
「だまされた」
となってしまうからだ。


物事を判断する場合、
よりどころとなる軸が必要だ。
この思考のベースは、人によってそれぞれだが、
私の場合、
ルドルフ・シェーンハイマーの
「動的均衡」が
それである。


シェーンハイマーは次のように述べている。

生物が生きているかぎり、
栄養学的要素とは無関係に、
生体高分子も低分子代謝物質もともに
変化して止まない。
生命とは代謝機械の持続的変化であり、
この変化こそが生命の真の姿である。
(「もう牛を食べても安心か」 福岡伸一 文春新書)

私たちはなぜ食べるのか。
ガソリンを燃焼して得られるエネルギーが、
エンジンを動かすように、
食物を燃焼させ、
そのとき得られるエネルギーを使って
生命を維持するという役割ばかりではない。


エネルギーを生み出すためだけなら、
糖(炭水化物)と脂質(油)だけを取ればよい。
しかし、人間(生物)は、
タンパク質を食べなければ生きていけない。
これは、人間が生きていくために必須な元素である
N(窒素)を取り込む必要があるからだ。


シェーンハイマーは、
窒素の同位体(目印を付けた窒素原子)を使って、
アミノ酸を作った。
そして、このアミノ酸の足取りを追跡する
という実験を行った。

食べた標識アミノ酸は、瞬く間に全身に散らばり、
その半分以上が、脳、筋肉、消化管、肝臓、
膵臓脾臓、血液など、
ありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の
一部となっていた。
しかし、その標識アミノ酸はそこにとどまることなく、
しばらくすると分解されて体外に排出されていった。
分子や原子のレベルでは、
私たちの身体は数日間のうちに
入れ替わっていることになる。


アミノ酸配列は、情報を担っている。
つまり、体に吸収されると
新しいタンパク質を構成し、
新しい言葉を作りだしているのだ。
さらに複数のたんぱく質が組み合わさって、
より高度な文章を作り上げている。


消化とは、
「食べ物を吸収しやすくするため細かくする、
という機械的な作用よりも、
もとの生物が持っていたタンパク質の情報を一旦解体して、
自分の体内で自分に適合した形で情報を再構築するための、
出発点になる」
という意味を持っていることになる。


さらに、体を通過していった
酸素、水素、炭素、窒素などは、
自然環境の中を巡り、
再び人体に取り込まれるというように
自然環境と生物の間を循環し、
全体として動的なバランスをとっている
というのが、「動的平衡」の理論である。


この「動的平衡」を思考のベースにおくと、
身体によい食べ物がどんなものか、
かなりクリアになってくる。


「食べ物はできるだけ遠いところのものを食べよ」
という教えがある。
これは、地理的な意味での遠いではなく、
生態学的な意味での遠いである。
タンパク質を言語に例えると、
自分と近い種、あるいは同種の生物が持っていた
情報というものは、
それだけ、接近した言語であるため、
それがそのまま体内に取り込まれると
干渉が起こりやすいわけだ。
狂牛病は、肉骨粉が原因といわれているが、
典型的な共食い病ということになる。


この考え方にたてば、
野菜や果物が身体によいというのは、
すんなりと腑に落ちる。
また、生態学的に、
魚、鳥、豚、牛の順に遠い存在なので、
遠い方が身体によいというのもうなずける。


食、健康、環境などの問題は、
科学の知識がベースにないと、
よいか、悪いかの
手がかりすらつかむことができない。
日本の教育システムは、
この大切な科学の教育をおろそかにしている。
私も受験偏重、暗記中心の教育を受けてきた
子供の1人であるが、
今さらながら、
科学を学ぶことの重要性に気付いた。
テレビから流れてくるいい加減な情報を鵜呑みにする前に、
科学の基礎知識を身に付け、
科学的なものの見方ができるようになることの方が、
よっぽど重要だとやっとわかったのだ。
今回の「あるある」騒動は、
大変よい勉強になった。

牛乳は本当に体にいいのか

「牛乳は体によい」
これは、食の常識だ。
だから、私たちは、小学生の頃から、
学校給食で選択の余地なく、
牛乳を飲むことを強制される。


しかし、牛乳がどのように体によいのかを
詳しく知っている人少ないと思う。
そこで、日本酪農乳業協会のHPを調べてみた。

1.牛乳は体脂肪を低下させる。
2.ビタミンAとB2の効果で美肌効果あり。
3.乳糖、あるいは乳酸菌の働きで便通がよくなる。
4.良質なたんぱく質を摂取できる。
5.カルシウムとペプチドがナトリウムを排出し、
  血圧を調整することで、生活習慣病の予防になる。
6.カルシウムの吸収を助け、骨を丈夫にする。

    (社団法人 日本酪農乳業協会HPより抜粋)

とのことだ。


一方、牛乳の効能に疑問を呈する意見もある。
昨日紹介した新谷博士は、
市販されている牛乳は胃腸によくないと
述べている。
ポイントは、「市販されている」
という部分だ。


市販されている牛乳は、その成分が、
「ホモゲナイズ(均等化)」されている。
生乳に含まれている脂肪の粒を攪拌して、
さらさらした液状の牛乳に加工するのだ。
その過程で、乳酸脂肪の酸化が起こり、
過酸化脂質に変化してしまう。
この「酸化がとても進んだ脂」は、
活性酸素同様、細胞にキズをつける。
その上、さまざまな雑菌の繁殖を防ぐために、
加熱殺菌が行われ、
このプロセスを経た牛乳は、
牛乳が本来持っている体によい成分を
全て失った体に悪い飲み物になっているというのだ。
日本酪農乳業協会が説明している有効成分が、
はたして、市販の牛乳の中に含まれているのか
疑わしいところである。
実際、市販の牛乳を母牛の代わりに子牛に飲ませると、
その子牛は4、5日で死んでしまうそうだ。


さらに、新谷博士は、
本来子牛が飲むための乳を、
種が異なる人間が飲むことは不自然だと述べている。
また、自然界では、「乳」を飲むのは、
生まれて間もない「子供」だけで、
大人になっても「乳」を飲む動物は、
人間の他には、存在しないとも言っている。


そもそも、哺乳類の子供はなぜ乳を飲むのか。
それは、乳を飲むことで、母親から抗体を受取り、
自分の免疫系を
環境に適合した形に作り上げていくためにである。
免疫系の確立した大人は、
牛乳を飲む必要はないのである。


母乳に含まれている成分は、
人間も牛もあまり大差はない。
タンパク質、脂肪、乳糖、鉄分、カルシウム、
リン、ナトリム、カリウム、ビタミンなど。
しかし、その成分の「質」や
その成分が持つ「情報」が違うのだ。
子牛が牛乳を飲めば、ほぼ100%の成分が、
体に吸収されるが、
種の違う人間が飲んでも、その多くは吸収されない。


たとえば、骨粗鬆症を予防するために、
牛乳を飲むとよいというが、
新谷博士は、牛乳の飲みすぎが、
骨粗鬆症を招くと言っている。
牛乳を飲むと
血中のカルシウム濃度が急激に上昇する。
体は血中のカルシウム濃度をなんとか
通常値に戻そうと恒常性コントロールが働き、
血中余剰カルシウムを腎臓から尿に排泄されて
しまうというのだ。
牛の乳に含まれるカルシウムは、
人間の体が受け付けないとすれば、
十分あり得る話である。


いったい、「牛乳は体によい」という
食の常識の源はどこにあるのだろうか。
その疑問を解くカギが、
フィット・フォー・ライフ
(ハーヴィー・ダイアモンド/マリリン・ダイアモンド
グスコー出版)
という世界で1200万部も売れている
空前のベストセラーである
健康栄養学の本の中にある。


「牛乳はアメリカでは最も政治と結びついている食品だ」
とこの本では指摘している。
『ロサンゼルス・タイムズ』紙によると、
米国の乳製品業界は、年間に約30億ドルも
政府から助成金を受けているそうである。
(もちろん、票集めのために)
政府は何億ドルも支払って乳製品を買い上げており、
もし、これが販売されず倉庫に眠ったままになると、
資金を回収できない。
そのため、牛乳の大宣伝キャンペーンを実施して、
乳製品の販売を促進している。
だから、牛乳が体によいという話は、
「作られた神話である」と報じている。


日本での牛乳の普及のきっかけになったのは、
1960年代初めにスタートした学校給食である。
戦後、食事のスタイルが欧米化し、
牛乳が普及したわけだが、
牛乳の販売を積極的に推進したのはどこか
をよく考えてもらいたい。
もちろん、アメリカである。
そう考えると、「牛乳は体にいい」説は、
多分に政治的な臭いがしてくるのである。


牛乳が体によいか、悪いかを
最終的に判断するのは、消費者1人1人である。
私は、もともと、牛乳が体にあわないないので、
牛乳推進派ではない。
私は、自分の体に合うかあわないかで、
自分にとって必要か、そうでないかを判断している。
その感性を高めるために、
体の声をよく聞くようにしている。


最後に客観的な事実を紹介しておく。
新谷博士の臨床結果によると、
「牛乳や乳製品を多く取っている人の胃腸は
美しくない」
とのことである。

病気にならない生き方

2006年単行本ノンフィクション(トーハン調べ)
による年間ベストセラーに輝いた本は、
「病気にならない生き方」
(新谷弘実 サンマーク出版
である。
著者の新谷博士は、
米国アルバート・アインシュタイン医科大学外科教授で、
日米でおよそ30万例以上の胃腸を診てきた
胃腸内視鏡外科の世界的な権威である。


医者は普通、薬や手術で病気を治そうとする。
なにか症状がでたときに、
その症状を緩和する、あるいは取り除くために、
治療をするのだ。
しかし、自身が医者である新谷博士は、
少し変わっている。
『薬はすべて基本的に「毒」である』
と主張する。
また、病気にならないように、
正しい食事と正しい生活習慣が大切であると説く。


穿ったものの見方ではあるが、
医者は、患者が病気にならなければ、
商売にならない。
だから、病気にならない方法を説くことには、
あまり熱心ではないのが普通だ。
やはり、新谷博士はちょっと変わっている。


さらに、新谷博士は、
大腸内視鏡によるポリープ切除という
世界でただ一人の技術を持つ、
時代の先端を行く医者でありながら、
ホリスティックな医療を重視している。
ホリスティック医療とは、
病気を単なる部分の不具合と考えるのではなく、
心と体で一体ととらえ、
その全体を根治しようという考え方である。


最先端の技術を持つ医師の多くは、
ホリスティックな生命観とは対極に位置する
機械的生命観に立っている人が多いように思う。
つまり、身体のシステムはすべて、
機能を分担した部品に分解できて、
ある部品に故障が生じれば、
その部分を治療すればよいという考え方である。


これは、西洋医療の発想で、
日本ではまさに、
この西洋医療が中心である。
壊れたら治せばよいと考えるから、
なぜ壊れたのかということを
あまり考えない。
だから、正しい食事や正しい生活習慣を
指導することは、
医者の仕事ではないと思っている人が
たくさんいるのだろう。


医療の最前線で働く新谷博士のような医者が、
常識と考えられている健康法に潜むうそや
危険な食べ物について語ってくれるのは、
大変貴重な意見といえる。


新谷博士の考えは、
30万例という胃腸検査の臨床結果に基づいている。
「健康な人の胃腸は美しく、
不健康な人の胃腸は美しくない」
このシンプルな結果に基づき、
どんな食生活、どんな生活習慣を選択すると、
美しい胃腸になるのかを教えてくれているのだ。


新谷博士は、
「常識を信じていると危ない!」
という。
私たちは、こんな健康法を信じている。
・ヨーグルトは腸によい
・牛乳でカルシウムを補う
・果物は太りやすい
・ごはんやパンは炭水化物を多く含むので太る
・高タンパク低カロリーの食事がよい
・水分はカテキンの豊富な日本茶でとる
しかし、新谷博士に言わせると、
これらはすべて、
胃や腸によろしくない健康法なのだそうだ。


ではなぜ、胃・腸によくない健康法がよいと
認識されているのか。
それはその食物に含まれる
1つの成分の効能
しか見ていないからだと博士は指摘する。
まさに、現在の健康番組の問題点をついている。


また、特定の団体、企業、個人の利害にからんで、
根拠のない常識を常識と思いこまされているケースもある。
よい例が牛乳だ。
詳細については、
また日を改めて説明したいと思う。


1つの成分の効能にのみ注目するという傾向は、
根強い機械的生命観から生ずるものではないか。
食物もまた、生命のパーツを維持するための
薬か燃料のようにとらえられているのではないか。


人間の体は、もっと神秘的なものである。
青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授である
福岡伸一氏の著書「ロハスの思考」(ソトコト新書)
に大変興味深い指摘がある。
少々長いが引用してみる。

私たちの生命を構成している分子は、
プラモデルのような静的なパーツではなく、
例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にある
という画期的な大発見がこのときなされたのだった。
まったくの比喩ではなく、
生命は行く川のごとく流れの中にあり、
私たちが食べ続けなければならない理由は、
この流れを止めないためなのだ。
そして、さらに重要なことは、
この分子の流れは、流れながらも全体として
秩序を維持するため相五に関係性を保っている
ということだった。
シェーンハイマーは、この生命の特異的な在りように
「動的な平衡」という素敵な名前をつけた。


少々、難解な表現だが、要は、
人間の臓器や組織はプラモデルのパーツのように
静的なものではなく、
臓器や組織を構成する分子のレベルで、
常に入れ替えが起こっているということだ。
食べた食物はあっという間に、
分子のレベル、あるいはそれ以下のレベルまで
分解され、臓器や組織を構成する分子と絶え間なく
入れ替わっているといことだ。
分子や原子のレベルでは、
私たちの身体は、
数日間のうちに入れ替わっていることになる。


シェーンハイマーの「動的な平衡」が真実ならば、
機械的生命観は意味をなさないことになる。
機械的生命観が意味をなさないのであれば、
西洋医学だけで医療を論じることはできないはずだ。


こらからの医療は、、
西洋医学東洋医学のようなホリスティックな観点に立った
統合医療が必要なのだと思う。
その意味でも、
西洋医学オンリーの日本の医学界に、
新谷博士のような異端の医師が必要だ。
「病気にならない生き方」がベストセラーになったのは、
時代が必要としているからなのだろう。

納豆騒動に思う その2

納豆騒動が、大変なことになってきた。
データを捏造したテレビ局は、
言語道断であるが、
こっけいなのは、
テレビ番組に振り回されている消費者である。
こっけいなどといって申し訳ないが、
これは、以前、
同じようにテレビ番組に振り回されていた
昔の自分に対する自戒を込めた感想である。


今回の一件に関する消費者の声が
おもしろいので、ちょっと拾ってみた。

以前は月に数回食べる程度だったが、
番組で「1日2パックを毎日食べ続けて」
と聞き、その通りにしていた。
でも体重が減らないからおかしいと思っていた。
(団体職員女性)


放送を見た妻と娘が
「毎日2パック食べなければいけない」
と言い出し、
会社帰りに毎日買いに行かされた。
「いい迷惑。テレビ局はいいかげんにしてほしい」。
(会社役員の男性)


ショックですよ。
あれ詐欺ですよ。
もう、毎日食べるのはやめます。
(関取)


コレステロール値と体重を減らそうと
納豆ダイエットを始めた。
朝と晩に1パックずつ食べたが、
3日目に気持ち悪くなって中止。
コレステロール値と体重は減らなかった。
科学的根拠なくこんな番組を放送するなんて、
初めから消費者をだますつもりだったのではないか。
(主婦)


まあ、次から次へと文句がでてくる。
消費者の言い分を聞いていると、
金融詐欺でだまされた被害者の声と一緒だ。
お手軽に、お手ごろな値段で、
楽して結果を出そうという
ダイエットの手段にとびついたのは、
選択したその人自身の責任である。
きちんと調べることなく、
情報を鵜呑みにしたのに、
「だまされた」
はないのではと思ってしまう。


それに、
番組で放送されたような効果が得られないから、
納豆を食べてもムダであるというのは、
短絡的すぎないか。
納豆は、昔からの健康食材。
番組で取り上げる前も後も
納豆が健康食材であることに変わりはないのだ。


今回の騒動の1番の被害者は、
消費者ではなく、納豆製造メーカーである。
株でいうなら、納豆の価格が、
ストップ高したあと、
ストップ安している状態なのだから。
売店からのオーダーに応じて、
増産したあげく、
騒ぎがあったからもういらないでは、
たまったものではない。
在庫になった分は、
廃棄しなければならないという。
納豆を買い占めた消費者も、
じゃんじゃん販売した小売店も、
みな共犯だ。


しつこいようだが、
これは自戒を込めての反省である。
データをねつ造したテレビ局は、
もってのほかだが、
受けての消費者にも問題がある。
テレビから流される情報は、
全て正しいわけではないのだ。
鵜呑みにしてはいけないのである。


情報は、
完全に中立な立場から発信されるものなど、
まず皆無と考えた方がよい。
情報は、
発信者が意図する、
意図しないにかかわらず、
発信者にとって有利になるようなバイアスが
かかっているものだ。
特に、食や健康、環境に関する情報には、
注意が必要だ。


では、どうやって自分の体にとって
よい、悪いを見抜けばよいのか。
決定的な答えはないが、
そのヒントは自然の中にある。


私たちの生命現象は自然の循環の環の一部である。
人間の生活も自然の営みの一つと考えれば、
次のような自然のルールを思考のベースにおくと、
物事がクリアに見えてくる。


1.すべてのものは循環している
   滞ることでゆがみが生じる
2.自然は長い時間の中で、その平衡点を見つける
   短時間で結果を出そうとすればゆがみが生じる


自然のルールに照らし合わせて、
自然か不自然か。
大変シンプルであるが、
物事の本質を見抜く
一番重要なポイントなのだと思う。


納豆を毎日2パック食べれば、
2週間という短時間で、
ダイエット効果があり、
コレステロール値が減少する。
やっぱり、不自然でしょ。

納豆騒動に思う

私は納豆が大好きで、
家で食事をする時は、ほぼ毎日、
納豆を食べている。
ところが、この間、某局の某健康番組で、
納豆にダイエット効果があると放送されると、
納豆の買占めが起こり、
超品薄現象が発生。
もとからの納豆好きには、
大変迷惑な話である。


某大手スーパーでは、
何の変哲もない普通の納豆を
通常価格の2倍で売っていた。
便乗値上げもはなはだしい。
あのスーパーでは、二度と買い物をしないぞ。


それにしても、日本人は、
なぜこんなにもテレビの影響を受けやすいのだろう。
食や健康に関する専門家の話より
みのもんたや人気タレントの話の方が
インパクトが強いだなんて、
どういうこと?


しかし、かく言う私もあまり大きなことは言えない。
テレビの健康番組に踊らされていた1人だから。
寒天にダイエット効果があるといえば、
買いに走り、
ヨーグルトが花粉症に効くと聞けば、
毎日食べ続け、
今にして思うと、
なんてばかなことをしていたのだろうと・・・。
多いに反省。


テレビの健康番組の困った点は、
食材の持つ1つの効能にのみ注目して、
その食材を集中的に摂取することを薦めること。
何事もバランスが大切なわけで、
いくら体によいからと
一つの食材だけを集中的に摂取すれば、
バランスが崩れ、
逆に体に悪い影響が出かねない。


食べ物は、みんな体にいいのだ。
人工的に作り出した添加物の入った食物や
農薬にまみれた野菜や
薬づけの牛、豚、鳥、魚でない限りは。


今や、安全な食物を手に入れるのは至難のわざ。
ある本に書いてあったが、
納豆は比較的農薬の被害の少ない食べ物らしい。
納豆菌が浄化の役割を果たしているのだ。
しかし、怖いのは、遺伝子組替え大豆。


人間は昔から品種改良という
遺伝子組み換えの技術を使ってきた。
しかし、遺伝子組替え大豆の技術は、
品種改良という体に害のない遺伝子組替え技術とは、
根本的に別の技術なのだ。
簡単に言ってしまえば、生物として、
いじってはいけない遺伝子を操作しているので、
そのような作物は、
もはや植物とはいえない
ということらしい。


世の中は、
特にビジネスの世界では、
「危険が証明されなければ安全である」
という理屈がまかり通る。
私たちが口にするものや
体を洗ったり、
体にぬったり、つけたりするものは、
「安全が証明されないなら危険である」
という安全基準で作られていないことを、
よく理解した方がよい。


遅ればせながら、今、私は科学の勉強をしている。
科学的な基礎知識を身に付け、
科学的な物の見方や考え方ができるようにならないと、
自分や家族の身を守ることができないと
気付いたからだ。


特定の人物あるいは企業や団体の利益を守るため、
「危険が証明されないから安全」な
商品や製品の情報が毎日のように飛び交っている。
だまされないためには、
まず、知らなければならない。
まず、知ることから全ては始まる。


今朝の読売新聞に、
人類滅亡までの残り時間を示す
「終末時計」が、
「残り7分」から2分進められ、
「残り5分」となったと報道された。
北朝鮮とイランの核開発や核拡散への懸念、
米国とロシアにある2万6000発もの核兵器
地球温暖化の進行などが、
時計の針を進めた理由だ。


納豆騒動から、人類滅亡まで、
大きく話が飛躍してしまったが、
要は、大きな問題を解決する第一歩は、
私たち一人一人が、
常識というオブラートに包まれ操作された情報を
鵜呑みにしないことから始まるのだと思う。