亡食

「亡食の時代」(産経新聞「食」取材班 扶桑社新書)は、
考えさせられることの多い本だった。


私にとって、“食べる”ということは、
人生最大の楽しみの一つといってよいほど、
重要な問題だ。
しかし、今の若者はそうではないらしい。


都内の出版社で働く編集者の男性(28)は、
数年前から、
「いっそのこと、栄養も完璧で、
ひと粒食べれば満腹になるような“粒”が
あったらいいのに・・・。」
と真剣に考えているそうだ。
彼にとって、仕事で手が話せないとき、
「食慾は邪魔」なのだそうだ。


また、別の男性会社員(37)は、
「食べないと倒れる。だから栄養を流し込んじゃえ!
というのが僕の食事スタイル」
と豪語する。
土曜日であるにもかかわらず、
コンビニで買ったゼリー飲料をブランチとして摂る。
「いちいち調理するのも面倒ですし・・・
栄養がとれればそれでいい。
食そのものにはこだわりがないんです。」


もちろん、食事のスタイルは本人の自由なのだから、
とやかくいうつもりはないが、
これでは、“食べ物を大切にする”とか
“自然を大事に思う”という気持ちは、
おそらく生まれてこないだろう。


彼らの理論でいくと、
ゼリー飲料などの栄養食のパッケージに
ビタミン、カルシウムなどの栄養素や数字が
たくさん表記されているので、
栄養価が十分につまっているということらしい。
この話は、私にとって、
野菜工場以上の衝撃だった。


日本人は、どんどん、自然から遠ざかる生活を
強いられている。
「食品の裏側」(阿部司 東洋経済新報社)で、
阿部氏が指摘していたが、
日本人には、(食べ物の見た目)に過剰なほどの
美意識がある。
たくあんは、黄色に美しく着色されたもの
辛明太子は、色が美しく形がいもの
野菜なら、虫食いでない、色も形も美しいもの
を選ぶ傾向強い。
しかし、外見の美しさを飾るために、
実は、食品添加物や農薬、化学肥料が、
大量に使われているのだ。
そういう食品を作るから売れるのか、
それとも、売れるから作るのか。
いずれにせよ、人工的な手が加わった食品は、
自然の食べ物とは程遠い
何か他のものになってしまっている。


ここまでいくとどうかと思うが、
冷凍食品などの加工食品では、
エビフライの尻尾が欠けていると、
ものすごいクレームがつくそうで、
日本のマーケットでは売れないのだそうだ。


このような消費者の異常ともいえる美しさへの
こだわりのために、多くの食品が廃棄される。
野菜やくだものは、一定の大きさと形に満たないものは
大手スーパーなどの流通には乗らない。
虫食いなど論外だ。
虫も付かないような異常な野菜やくだものを
「おいしい」と言って食べているのだと思うと
ぞっとする。
野菜やくだものは、土や太陽や水が与えてくれた
自然の恵のはず。
そのような、すばらしい野菜やくだものや
自然に対する尊敬の念はどこにいってしまったのだろう。


食べ物を大切にする動きは、
生産者のより近くにいる地方の方が活発だ。
地元で作って、地元で消費するという
地産地消」の動きがそれだ。
地場スーパーなどでは、地元の農家から
ふぞろいで、キズもあり、形も悪く、虫も食っているが、
自然の恵みをたっぷり受けた取れたての新鮮な野菜を
販売している。
それをみんなが買っていく。
そのような野菜やくだものは、
安くおいしいからだ。


大手スーパーでは、おそらく、
このような取り組みはしないだろう。
儲からないからだ。
食に対する価値感が変わらない限り、
多くの消費者は、見た目のきれいさを
購買の判断基準にし続けるのだろうか・・・。


多くの消費者は、本当の野菜の味を知らないのだろう。
私は、幸いにも、子供の頃、
もいだばかりのトマト、きゅうり、なす、枝豆、
とうもろこしなどを味わうチャンスがあった。
あの味は、しっかりと味覚の記憶に留まり、
太陽や水や土の恵を受けた自然のままの野菜が
どんなに甘くておいしいかを知っている。
育ちきったなすがどんなに大きくなるか、
きゅうりは曲がってのび、
トマトのへたからは強烈な香りがすることも
知っている。


こういう体験がなかったら、きっと私も、
見た目の美しい野菜を好んだかもしれない。
幼い頃の食の体験が、大人になっても大きな影響を
及ぼすことを、痛感している。
子供達に、自然のままの野菜やくだものの味を
教えてあげることは、
とても大切なことだと思う。
畑で育つ野菜を見せて、自分の手でもいで、
味わうという体験をするだけで、
ほんの少しでも、食や自然を大切に思う気持ちが
心に芽生えてくるかもしれない。
これは、大切な教育だ。


食事は、単に栄養補給のための行為ではないはずだ。
五感を働かせて食べることを楽しんだり、
食を通してコミュニケーションを交わすことで、
生活に潤いを与えるものであるはずだ。
「亡食」は、
何か大切なものを失ってしまった日本人の
根っこの原因であるような気がしてならない。