CSRに思う

日本では、CSR(社会的責任)という考え方が浸透して
いるのだろうか、と素朴な疑問を持ちました。
投資の世界では、確かに、新しい座標軸となっており、
数多くのSRIファンドが誕生しています。
ニューズウィークのランキングでも、CSRの取り組みで
日本企業は大躍進という結果がでています。
このランキングにおいて、CSRに関しては、以下4つの
評価項目で得点をつけています。
企業統治・・コーポレートガバナンス
②従業員・・・機会均等の確保に関する総合評価
③社会・・・・人権保護の総合評価
④環境・・・・環境問題への取り組みの総合評価
日本企業は、④環境で大きくリードしているものの、
企業統治では最下位です。
橋梁談合事件、雪印の食中毒事件、三菱自動車リコール隠し
三井物産ディーゼルエンジンの排ガス浄化装置データ捏造、
西武の有価証券報告書の虚偽記載、JR西、JAL・・・。
次から次へとでてくる不祥事をみていると、この「企業統治
が最下位というのもしかたないといったところでしょうか。


バブル崩壊後、ようやく企業の構造改革が身を結び、
企業の業績や財務内容にはその効果が現われてきていますが、
「意識改革」だけは取り残されてしまったみたいです。


何かで読んだのですが、人間の自我の発達には段階がある
そうです。
依存心の残る中期自我、常に競争に明け暮れることで安定する
後期自我、そして、今まで獲得してきたものを吟味し、内省
することで精神が安定してくる統合自我というプロセス。
会社にも同じことがいえるのでしょうか。
とすると、日本には、この後期自我の段階の会社が多い。
後期自我を卒業し、統合自我の段階まで進む過程に
おいて、このCSRがとても重要な意味をもってくることに
なります。
目に見えるものは、比較的変えやすいけれど、目に見えないもの
を変えるのは、本当に大変な作業です。